創建伝承の二つの説
現地紹介では、天正14年(1586)に高山定重が父・満重の菩提を弔うため、室田・長年寺9世学州是芸を開山に迎えて創建したとされます。
一方、地域史系資料には「高山満重が建立した」という別系統の記述もあります。したがって本サイトでは、創建者を断定していません。
決定的な確認候補は、雙林寺文書目録 No.199 の「由緒書(緑野郡東平井村高源寺)」本文です。
群馬県藤岡市東平井・曹洞宗
高山氏と東平井の歴史をたどる、満重山 高源寺
高源寺は、群馬県の宗教法人名簿で藤岡市東平井甲1090に所在する曹洞宗寺院として確認できます。
創建については複数の伝承があり、本サイトでは断定を避け、1775〜1776年の雙林寺文書など確認度の高い史料と分けて紹介します。
ABOUT
群馬県藤岡市東平井にある曹洞宗寺院・高源寺の由緒、高山氏との関係、近世の宗門史料、関係寺院と周辺史跡を、確認できた資料と未確定事項を区別しながら紹介する調査型サイトです。
高源寺は東平井の高山氏との関係が深いと伝えられます。高山定重は永禄10年(1567)の起請文など同時代史料で実在が確認でき、元亀3年(1572)には東平井市に関する武田家朱印状との接点も知られています。
一方、天正14年(1586)に高山定重が父・満重の菩提を弔うため創建したとする寺伝と、高山満重本人が建立したとする地域史系の記述があり、創建事情は今後の史料確認が必要です。
HISTORY
高源寺の歴史は、創建伝承と、近世の宗門文書で確実に確認できる部分を分けて考える必要があります。
雙林寺文書目録には、安永4年(1775)の高源寺住持「如山」、結制興行に伴う検僧派遣願、安永5年(1776)の「高源寺江湖検僧之事」が登録され、近世の宗門活動は強く確認できます。
境内の「高山満重の墓」とされる墓塔にこの年号があるとの現地報告。満重の没年かは未確定。
「高山定重起請文」。高山定重の実在を示す同時代史料。
武田家朱印状で高山定重に東平井市に関する命令が出されたと紹介される。
高山定重が父満重の菩提のため高源寺を創建したとする寺伝。ただし高山満重建立説もある。
高源寺住持「如山」の時代証文、結制興行に伴う検僧派遣願が雙林寺文書目録に確認される。
「高源寺江湖検僧之事」関係文書が確認される。
本堂焼失とする現地寺歴紹介。一次史料本文は未確認。
本堂再建とする現地寺歴紹介。
梵鐘再鋳造とする現地紹介。
群馬県藤岡市東平井の曹洞宗寺院として存続する。
RESEARCH
創建伝承と近世史料を分け、確認度を意識して整理します。
現地紹介では、天正14年(1586)に高山定重が父・満重の菩提を弔うため、室田・長年寺9世学州是芸を開山に迎えて創建したとされます。
一方、地域史系資料には「高山満重が建立した」という別系統の記述もあります。したがって本サイトでは、創建者を断定していません。
決定的な確認候補は、雙林寺文書目録 No.199 の「由緒書(緑野郡東平井村高源寺)」本文です。
雙林寺文書目録には、東平井村高源寺如山を名指しする史料が残ります。
この部分は、高源寺史の中でも特に確認度が高い情報です。
安永5年(1776)10月21日には、**「高源寺江湖検僧之事」**に関する文書が確認されています。
前年度の結制興行に伴う検僧派遣願と合わせると、高源寺が近世曹洞宗の宗門活動を実際に行っていたことが分かります。
雙林寺文書目録 No.199 には、**「由緒書(緑野郡東平井村高源寺)」**一冊が登録されています。
創建年代、開基が満重か定重か、学州是芸の記載、山号「満重山」の由来、長年寺との正式な本末関係、歴代住職、寺領・堂宇、火災・再建履歴などを確定する可能性があります。
HIGHLIGHTS
高源寺の本堂、山門、六地蔵、鐘楼、石塔などを写真で紹介します。

01
高源寺本堂の現況。現在の堂宇外観を確認できる。

02
高源寺の山門。境内入口の景観を確認できる。

03
境内に並ぶ六地蔵。地域信仰を伝える石造物の一つ。

04
高源寺の鐘楼。梵鐘とともに境内景観を構成する。

05
現地紹介では昭和52年(1977)に再鋳造されたとされる。一次史料本文は未確認。

06
境内にある高山満重の墓と伝えられる石塔。永禄3年(1560)の銘があるとの現地報告があるが、満重の没年かは未確定。
CONNECTIONS
長年寺、雙林寺、大本山總持寺、高山氏との歴史的なつながりを整理します。

長年寺は高崎市下室田町に所在する曹洞宗寺院です。日本歴史地名大系および自治体史では、長野業尚を開基、雙林寺3世曇英恵応を開山とする伝承が紹介されています。
高源寺の開山を長年寺9世・学州是芸とする寺伝と、1775年の高源寺関係証文に長年寺が登場することから、両寺の宗門上の関係は非常に強いと考えられます。
1775〜1776年の高源寺関係文書が雙林寺文書群に残っています。
研究では、雙林寺は曹洞宗一州派の中心的寺院で、能登總持寺の末寺・輪番寺院であったことが示されています。高源寺から雙林寺への願書・検僧関係文書が残るため、宗門上の関係は史料で確認できます。

現在の曹洞宗は、永平寺・總持寺の両大本山をいただきます。
高源寺から總持寺への直接の正式本末関係を確認したわけではありませんが、長年寺・雙林寺を通じる法脈・宗門ネットワークの中で、總持寺との歴史的つながりを考えることができます。

高源寺は中世の高山氏との関係が深いと伝えられます。高山定重は同時代史料で実在が確認され、東平井との接点も史料上強く確認できます。
高山長五郎(1830〜1886)は養蚕法「清温育」を普及し、高山社の基礎を築いた人物です。ただし、本サイトでは「満重→定重→…→長五郎」という直系系譜を確定していません。
NEARBY
東平井と高山氏の歴史を理解するための周辺史跡を紹介します。

高山氏が活動した藤岡地域の中世政治史を理解するための重要な周辺史跡です。発掘成果に基づく整備も行われています。

高山長五郎が養蚕法「清温育」の改良・普及を進めた高山社の旧宅・教育拠点です。
高源寺に関係する中世高山氏から、近代の高山長五郎・養蚕教育史へと広がる地域史を考える参考になります。ただし、具体的な直系系譜は本サイトでは確定していません。
GALLERY
高源寺と関連史跡・寺院の写真資料です。各写真の出典を明記しています。
CONTACT
お問い合わせの際は、下記電話番号をご利用ください。受付時間等は事前にご確認ください。